第4章 あとがき

「クリーンアップ越前」を終わって、反省・教訓・感じたことを以下に列挙させていただきます。

◆まずは現地を見ること!
「ナホトカ」の折れた船首部分と流出した重油が三国町に漂着した頃から、重油汚染被害が連日ニュースで報道され、ボランティアの方々が油だらけになって重油除去作業に従事する姿をテレビや新聞で見ながら「何かしなければ・・・・」と多くのダイバーの方々が感じたことと思います。
 ダイビング業界内でも「何か行動しましょう!」ということで意見は一致しても、「何をするか」については様々な意見がありすぎて、調整がつかず混乱した状態でした。それぞれの意見はどれも正論であるがため、に合意が形成されなかったのです。一日一日と時間が過ぎて行く状態で何も動き出せず、一方「インターネット」を開くと、現地から支援を求める悲痛な声が連日流れてきていました。
「サーファーは一生懸命協力している。」とか「ダイバーは海の権利ばかり主張して、こういう時には何もしないのか!」といった声も聞こえてきました。
 何をしたらいいのか手探りの状態の中で「第一回目の越前町ミーティング」が持たれ、現地の方々の意見を聞いた結果、具体的な活動骨子が出来上がったのです。

◆ダイビング業界の包括的組織がない
 今回の反省として、「ダイビング業界」として行動を起こすのが遅かったのではないか?という意見があります。確かに当初は業界としてまとまった活動ではなく、それぞれ個別の行動になっていました。原因の一つに「ダイビング業界を包括的にまとめている組織が無い」という点が上げられます。結果としては「日本海重油汚染対策ダイビング協議会」を立ち上げることに成功し、ダイビング業界全体の協力を取り付けることが出来ました。今回の経験は「ダイビングに共通の問題に対してはダイビング業界全体で協力し、対処する」ということをまさに実践できたと思います。

◆風評被害
 現地の方々からの直接の話を聞くまでは、「海底も重油でひどく汚染され、死の海になっている」といった情報があちらこちらから入ってきていました。「三国や越前の海はこれから何年間も死んだ海になってしまうだろう・・・・」と想像していました。現地を見て、また現地の方々の話を聞いて「海中は全く何の影響も受けていない事が分かりました。」
 97年2月11日(月)の越前町での1回目のミーティングでは、ダイバーやダイビング業界がどんな支援をしたらよいのかを知るのが大きな目的でした。
 多くの現地の方々からは「風評被害を何とかしてほしい!!」という意見が出ました。(海岸の重油清掃をしてほしいというのはもちろんのことです) 

特に印象に残ったものは以下のような声でした。

◆広報活動の難しさ
 地元支援のために、ダイビング業界とダイバーの方々が一体となって行う「クリーンアップ越前」ですから、マスコミになるべく多く取り上げてもらえるとありがたいと考え、いくつかのマスコミの方に相談をしました。
 あるマスコミの方からは、ダイバーがダイバーの特性を生かして一般社会に貢献するというのであればニュース性はあるが、「ダイバーが自分たちのフィールドを清掃する」というのでは「ダイバーエゴまる出しで、ニュースになんかならない!」と批判を受けました。
 しかし、自分たちが使ってきた海岸をきれいにする必要性を感じていましたし、現地の方々もそれを望んでいました。もともとマスコミの受けをねらって考えたことではないし、「必要だと思うことを確実にやろう!」ということで実施をしました。それでも「資料」の項にあるように、多くのマスコミの方々が取材に訪れ、好意的に報道して頂けました。

◆「ダイバー」とは素晴らしい人達
 「クリーンアップ越前」では750名を越えるボランティアダイバーの方々が文句一つ言わずに、黙々と重油清掃を行ってくれました。

多くのボランティアダイバーの方々を見て「本当に頭が下がる思い」と同時に「ダイバーという人達」に誇りと感動を覚えました。

*最後に、地域によっては利害が対立し摩擦を生じたりもしている、「ダイバー・ダイビング業界」と「ダイビングフィールドの地元で生活している方々」が皆ボランティアで互いに協力しあい、一つのことを行えたという事は今後につないで行ける大変良い経験だったと思います。
「越前町役場」「越前漁業協同組合」「越前漁業協同組合婦人部」「越前観光協会」「廚(クリヤ)観光協会」「茂原観光協会」の皆様の全面的なご協力に対し、この紙面を借りて御礼申し上げます。

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